2008年9月27日(土) 曽我の里・曽我丘陵
実歩行距離 約9.7km ・最高点(高山山頂直下) 241.0m
(神奈川県小田原市)
曇り 一時 晴 最高気温20.7℃ 南南東の風3m/s
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第554号)」 |
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第554号)」 |
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09:21 本日の出発駅、JR東海の最東端駅、大正11年の建物 |
09:33 ここまでは道標が無いので地図が必要 |
09:34 この鳥居を通らずに 右側の駐在所との間の道を行く |
09:36 今日は彼岸花があちこちで群生していた |
09:38〜9:50 門前にお地蔵様が並ぶ
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09:38〜9:50 境内は城前寺保育園になっていて中には入れない境内には曽我兄弟の墓があるらしい |
09:38〜9:50 季節はずれのサツキが咲いていた |
09:38〜9:50 曽我の里・曽我丘陵の露草(ツユクサ)背丈が高い |
09:53 曽我五郎が足を患い、治った時に自分の体力を試すために 踏ん張ると足形に窪んでしまったという言い伝えがある |
09:53 五郎の沓石はこのような石垣の上にある
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09:58 南アフリカ原産 |
10:02 この川の上流に向かって歩く |
10:04 曽我の里も曽我丘陵もミカン畑が広がっている 道端にはミカンがいっぱい落ちていた |
10:05 北アメリカ原産、1cmほどの小さなアサガオ
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10:08 実をつぶすと かなりの悪臭がある青い汁が出る |
10:12 剣沢川に沿って歩くと、急に山の中らしい雰囲気に包まれる |
10:12 道と川の境が無くなり 川の中を歩く |
10:15 ロシアではこのキノコでピクルスを作る |
10:20 剣沢川を上っていくと山崩れや倒木がひどく、 この倒木を越えたあたりで道に迷った事に気づき 引き返す |
10:33 引き返す途中で弓張り滝への正規ルートを見つける
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10:35 正規ルートも橋が崩れて荒れている |
10:37 ミズヒキに比べて花が密集している |
10:37 山崩れが目立つ |
10:39 正規ルートも倒木がひどい |
10:40〜10:50 断層によって出来た滝、落差約4.5m |
10:40〜10:50 弓張り滝のすぐ上部にある鎧の滝、落差約2.5m |
11:03〜11:13 来た道を戻り、この梅林から曽我丘陵を目指す ここから先はずっとコンクリート舗装の道 |
10:18 北アメリカ原産
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11:21 澄禅和尚の遺徳を偲んで建てたものだと思われる
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11:21 澄禅和尚は寺院を拠点とする念仏を排して各地を転々とし、 洞窟に篭って座禅をすることが多かったという この洞窟は横穴式古墳だと言われている |
11:24 遠くの山まではっきり見えるが 富士山は見えなかった
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11:32 北アメリカ原産 根から周囲の植物の生育を抑制する化学物質が出るが、 この物質は背高泡立草自信の成長も抑制する |
11:36〜11:47 銘を持たないので、造塔の意図、年時、造立者、大工名等は一切不明 |
11:54 このあたりの道は見晴らしコースと言われ、展望が良いが勾配がきつい |
11:59 この架橋をくぐると、すぐに六本松峠 |
12:00〜12:11 松は明治末期までにすべて枯れたらしい |
12:15 六本松峠からしばらく平坦な道が続く、ミカンとキウイ畑が広がる |
12:17〜12:28 この一本松はまだ樹齢がかなり若い |
12:31 曽我丘陵にはキウイ畑も広がっている
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12:32〜12:42 道標はあちこちにあるが、ミカン畑とキウイ畑の農道が いっぱい枝分かれしていて道が非常に判りにくい |
12:32〜12:42 ここを右に曲がって見晴し台を目指す |
12:57 花と葉はアフリカと東南アジアで食用とされている |
13:00〜14:02 道に迷って分岐からここまで時間が掛かった、ここで昼食 |
13:00〜14:02 曇っているが伊豆半島も良く見えた |
14:07〜14:17 来た道を分岐まで戻り、右へ行く |
14:23 高山山頂の三角点はキウイ畑の中にあるので見ることは出来ない |
14:28 のどかな農道を進む |
14:30 しばらく急な下りが続く |
14:40 この道も展望が良い |
14:52 野菊の一種 |
14:56 昭和27年に農道が完成した記念碑 |
15:05 大きな根を朝鮮人参に例えて名前が付けられた |
15:08 花は日光が十分に当たるとよく開くが、今日は曇りなので半開き 夜には閉じてしまう |
15:15 平成5年に完成した農道の記念碑
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15:25 これが平成5年に完成した西山団体営農道、地形図にはまだ載っていない |
15:30 雲の間から陽の光が差して幻想的な光景 |
15:31 これも農道完成記念碑 |
15:46 相模湾を眺めながら急な道を下る |
15:51 昭和61年に完成した農道の記念碑 この辺りはこれらの農道ができるまで かなり不便な地域だったらしい |
15:53 遠くに三宅島の噴火で有名な大島が見えてきた
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15:53 国府津駅が見えてくると農道もそろそろ終わり |
16:01〜16:22 994年に創建された |
16:01〜16:22 曽我兄弟がこの石に隠れて鎌倉へ向かう父の仇である工藤祐経を 待ち受けたが 警護が厳しく涙を呑んで見送ったと言われている |
16:01〜16:22 小田原市指定天然記念物の神木
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16:01〜16:22 治したい自分の体の部分を撫でた後、菅原公の使いである牛の 座像を撫でると霊験があるという習俗がある |
16:01〜16:22 進学、学業成就、試験合格の神様
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16:01〜16:22 この茅輪をくぐると知らずの間に身に付いた穢れが取り除かれる |
16:26 国道1号線を国府津駅に向かって歩く |
16:34 茎の断面が四角形のため、別名カクトラノオと呼ばれる |
16:36 本日の終着駅、JR東日本とJR東海の共同使用駅で JR東日本の管轄 |
小田原市・曽我の里 『(社)神奈川県観光協会』 |
・下曽我駅 『ごてんばせんネット』 |
下曽我駅 『Wikipedia』 |
・下曽我駅 『御殿場線物語 -旧東海道各駅停車の旅-』 |
・剣沢川の散歩道 『小田原市 環境部 環境政策課』 |
・曽我梅林(梅まつり) 『小田原市 経済部 観光課』 |
・曽我梅林 花暦 『(社)日本観光協会』 |
曽我梅林(ウメ) 『(社)神奈川県観光協会』 |
・曽我の梅林 『小田原市観光協会』 |
・曽我梅林 『小田原楽友協会』 |
・六本松峠 『小田原市教育ネットワーク』 |
国道1号 『Wikipedia』 |
WELCOME 国府津 『国府津商工振興会』 |
・国府津駅 『ごてんばせんネット』 |
・こうづ 『ごてんばせんネット』 |
国府津駅 『Wikipedia』 |
・国府津駅 『御殿場線物語 -旧東海道各駅停車の旅-』 |
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